北九州港の概要

北九州港の歴史と役割

大正時代の門司港

大正時代の門司港

大正時代の若松港

大正時代の若松港

外国航路の船で賑わう門司港(西海岸)

外国航路の船で賑わう門司港(西海岸)

 北九州港は、古くは朝鮮、中国との交易におけるわが国の西の門戸として、また、近代は日本の工業化を支える港としての役割を果たしてきた、歴史ある国際貿易港です。
 現在では、特にアジアに近いという地理的特性から、日々発展するアジア諸国と日本を結ぶ重要な港として機能しています。また、国内物流の拠点港としても、北九州市内だけでなく九州・山口地域の人々の生活や産業、経済を支える大切な役割を担っています。

 1963年に門司市、小倉市、若松市、八幡市、戸畑市の五市が合併して北九州市が誕生しました。それを契機に、1964年、外国貿易の「門司港」、国内流通の「小倉港」、および工業港の「洞海港」を総称して「北九州港」と名づけました。
 いち早くコンテナリゼーションにも対応し、今日では太刀浦コンテナターミナルを中心に西日本の国際物流拠点としての役割を果たしています。

 2005年4月には、ひびきコンテナターミナルもオープンし、より一層充実したサービスを提供できるようになりました。後背地である響灘地区には、製造業の立地が進み、生産拠点群を形成しています。現在も埋立が進められており、今後も様々な産業の集積が見込まれています。

北九州港の歴史

今から700年前 アジア大陸との交易船の停泊地として利用される。
明治初期 「外貿の門司」、「内貿の小倉」、「鉄・石炭の洞海」として、3つの港がそれぞれの特色を活かして発展する。
1889(明治22)年 門司港、特別輸出港に指定。
1940(昭和15)年 門司、小倉、下関3港が合併し、関門港となる。
1951(昭和26)年 関門港として、特定重要港湾(現在は、国際拠点港湾)に指定。
1963(昭和38)年 北九州市誕生。
1964(昭和39)年 門司港、小倉港、洞海港3管理者の統合による北九州港管理組合発足。
北九州港誕生。
1971(昭和46)年 西日本初のコンテナターミナル、田野浦コンテナターミナル供用開始。
1974(昭和49)年 北九州港管理組合を解散。北九州市が北九州港の管理者となる。
1979(昭和54)年 太刀浦コンテナターミナル供用開始。
1980(昭和55)年 新門司地区や響灘地区における大規模な埋め立てと港湾整備。
1984(昭和59)年7月 タコマ港(米国)と姉妹港締結。
1985(昭和60)年5月 大連港(中国)と友好港締結。
1991(平成3)年1月 新門司フェリーターミナル供用開始
1991(平成3)年7月 レムチャバン港(タイ)と姉妹港締結。
1995(平成7)年3月 門司港レトロがグランドオープン。
1995(平成7)年6月 中枢国際港湾に指定。
1997(平成9)年12月 ひびきコンテナターミナル着工。
2002(平成14)年5月 リサイクルポートに指定。(平成19年6月同施設供用開始。)
2004(平成16)年11月 仁川港(韓国)とロジスティクス・パートナー港締結。
2005(平成17)年4月 ひびきコンテナターミナル供用開始。
2005(平成17)年11月 天津港(中国)とロジスティクス・パートナー港締結。
2005(平成17)年12月 煙台港(中国)、青島港(中国)とロジスティクス・パートナー港締結。
2009(平成21)年 北九州港開港120周年。
2011(平成23)年11月 日本海側拠点港に選定。
2019(令和元)年 北九州港開港130周年。
2019(令和元)年11月 「みなとオアシス門司港」として、国土交通省より登録。
2020(令和2)年9月 西日本唯一の海洋再生エネルギー発電設備等拠点港湾に指定。
2023(令和5)年12月 2030年代後半を目標年次として、港湾計画を改訂。
HOME HOME